今里大塚古墳
今里大塚古墳は京都府長岡京市に所在します。直径約45mを測る大型の円墳ですが、前方後円墳の可能性もあるそうです(1990年1月撮影)。

埋葬施設は巨大な石を使用した全長13m以上を測る横穴式石室です。墳丘に天井石が露出しています。

玄室です。誰かが住んでいたのでしょうか。生活感のある玄室です。

玄室より埋没している羨道を撮影したものです。石室内からは家形石棺の破片が出土しているそうです。石室の石材等は長岡京造営の際に一部抜き取られた可能性があるとのこと。長岡京の頃には誰のお墓かもわからなくなっていたのかもしれません。
発掘調査により、石を敷き詰めた排水溝が確認されています。また、石室の構造等から奈良県明日香村の石舞台古墳との関連が考えられるそうです。

訪れたのはかなり前ですが、現在は古墳公園として整備されているようです。石室は埋め戻され、現在は見ることができません。

埋葬施設は巨大な石を使用した全長13m以上を測る横穴式石室です。墳丘に天井石が露出しています。

玄室です。誰かが住んでいたのでしょうか。生活感のある玄室です。

玄室より埋没している羨道を撮影したものです。石室内からは家形石棺の破片が出土しているそうです。石室の石材等は長岡京造営の際に一部抜き取られた可能性があるとのこと。長岡京の頃には誰のお墓かもわからなくなっていたのかもしれません。
発掘調査により、石を敷き詰めた排水溝が確認されています。また、石室の構造等から奈良県明日香村の石舞台古墳との関連が考えられるそうです。

訪れたのはかなり前ですが、現在は古墳公園として整備されているようです。石室は埋め戻され、現在は見ることができません。
与謝野町立古墳公園
古墳公園には、はにわ資料館も併設されています。

埴輪にも色々な種類があるのですね。改めて感じました。




こちらは蛭子山1号墳の舟形石棺の全体像がわかるパネル写真です。

園内には資料館、古墳群の他にも移築古民家や古墳出土石棺、復元住居等も展示されています。

復元住居は老朽化により、最近解体されたそうです。

こちらは近年発掘調査が行われた由里1号墳出土の箱形石棺が移築されています。内面に朱が認められます。奥にあるのは蓋石です。石棺内からは2体の人骨が出土したそうです。

資料館でははにごんがお出迎えしてくれます。ちなみに、はにごんの命名はかの、まりこふんさんだそうです。

以上、蛭子山古墳群と作山古墳群についてご紹介してきました。両古墳群は墳丘規模において大きな違いがみられます。中でも蛭子山1号墳は圧倒的な大きさです。埋葬施設には舟形石棺が直接埋納されており、一方、作山1号墳では弥生時代以来の伝統的な箱形石棺が使用されています。
蛭子山1号墳には近接するように方墳2基を築造していますが、作山古墳群では1・2号墳の周溝やその付近に埋葬された方のお墓に寄り添うように土器や埴輪を転用した棺や木棺を直接埋納した施設が多数確認されています。
蛭子山古墳群と作山古墳群ではこのようなところにも大きな違いが見られ、作山古墳群は地域の伝統的な有力者の墓地、蛭子山古墳群はそれらとは別系統のもっと広範囲の地域を治める有力者のお墓という見方もできるのかもしれません。
少し慌しい見学となりましたが、とても素敵な公園だと思いました。でも東京からだと随分遠いですね(笑)。ちなみに写真では加悦町古墳公園となっていますが、現在は与謝野町に町名が変更となっています。

埴輪にも色々な種類があるのですね。改めて感じました。




こちらは蛭子山1号墳の舟形石棺の全体像がわかるパネル写真です。

園内には資料館、古墳群の他にも移築古民家や古墳出土石棺、復元住居等も展示されています。

復元住居は老朽化により、最近解体されたそうです。

こちらは近年発掘調査が行われた由里1号墳出土の箱形石棺が移築されています。内面に朱が認められます。奥にあるのは蓋石です。石棺内からは2体の人骨が出土したそうです。

資料館でははにごんがお出迎えしてくれます。ちなみに、はにごんの命名はかの、まりこふんさんだそうです。

以上、蛭子山古墳群と作山古墳群についてご紹介してきました。両古墳群は墳丘規模において大きな違いがみられます。中でも蛭子山1号墳は圧倒的な大きさです。埋葬施設には舟形石棺が直接埋納されており、一方、作山1号墳では弥生時代以来の伝統的な箱形石棺が使用されています。
蛭子山1号墳には近接するように方墳2基を築造していますが、作山古墳群では1・2号墳の周溝やその付近に埋葬された方のお墓に寄り添うように土器や埴輪を転用した棺や木棺を直接埋納した施設が多数確認されています。
蛭子山古墳群と作山古墳群ではこのようなところにも大きな違いが見られ、作山古墳群は地域の伝統的な有力者の墓地、蛭子山古墳群はそれらとは別系統のもっと広範囲の地域を治める有力者のお墓という見方もできるのかもしれません。
少し慌しい見学となりましたが、とても素敵な公園だと思いました。でも東京からだと随分遠いですね(笑)。ちなみに写真では加悦町古墳公園となっていますが、現在は与謝野町に町名が変更となっています。
作山古墳群
古墳公園内には、もう一つの古墳群である作山古墳群が整備公開されています。本来は一つの古墳群だと思われますが、様々な点で違いが見られるようです(2015年5月撮影)。

まずは4号墳から見学します。4号墳は全長約30mを測る前方後円墳です。葺石が復元されており、後円部墳丘の南側には段築が認められますが、北側には段築がないことが判明しています。このような古墳は他でもありますが、墳丘の構築方法なのか当時の手抜き工事的な簡略化したものなのか興味があります。

4号墳の西側に手前から3・2・1号墳と続きます。手前の3号墳は一辺約17mを測る方墳です。

2号墳は直径約28mを測る円墳です。葺石は存在しませんが、墳頂には方形の埴輪列が確認されています。


1号墳は全長約36mを測る造出し付の円墳です。

墳丘には葺石があり、後円部墳頂には埋葬施設である箱形石棺が展示公開されています。


石棺には足元側に副葬品を入れるための副室が作られています。

5号墳は一辺約13mを測る方墳ですが、1号墳を築造する際に大部分が破壊されています。古墳群の中でも一番最初に築造された古墳と考えられています。

1号墳より見た2~4号墳です。

同じく1号墳より見た蛭子山1号墳です。こうしてみても大きいですね。

まだ続きます。しばらくお付き合い下さい。

まずは4号墳から見学します。4号墳は全長約30mを測る前方後円墳です。葺石が復元されており、後円部墳丘の南側には段築が認められますが、北側には段築がないことが判明しています。このような古墳は他でもありますが、墳丘の構築方法なのか当時の手抜き工事的な簡略化したものなのか興味があります。

4号墳の西側に手前から3・2・1号墳と続きます。手前の3号墳は一辺約17mを測る方墳です。

2号墳は直径約28mを測る円墳です。葺石は存在しませんが、墳頂には方形の埴輪列が確認されています。


1号墳は全長約36mを測る造出し付の円墳です。

墳丘には葺石があり、後円部墳頂には埋葬施設である箱形石棺が展示公開されています。


石棺には足元側に副葬品を入れるための副室が作られています。

5号墳は一辺約13mを測る方墳ですが、1号墳を築造する際に大部分が破壊されています。古墳群の中でも一番最初に築造された古墳と考えられています。

1号墳より見た2~4号墳です。

同じく1号墳より見た蛭子山1号墳です。こうしてみても大きいですね。

まだ続きます。しばらくお付き合い下さい。
蛭子山古墳群
再び京都駅に戻り、天橋立方面に向かいます。本当は最終日に訪れる予定でしたが、調べてみたら翌日は休館日のようなので予定変更です。
電車に揺られて約3時間、天橋立を通り過ぎ(笑)、与謝野駅に到着です。実は今年の4月に野田川駅から駅名が変更されたばかりのようです。駅前にも複数の駅名が混在しています(2015年5月撮影)。


駅からタクシーを利用して目的地に向かいます。古墳公園に到着です。

園内は広くて見どころがたくさんありそうですが、まずは蛭子山古墳群から見学します。1号墳は全長約145mを測る大きな前方後円墳で、日本海側では第3番目の大きさとなります。右側が後円部、左側が前方部となります。

後円部側の入口です。いかに高さがあるかがおわかり頂けると思います。

墳丘には石が葺かれていたようです。

後円部は三段に構築されており、その状況も良く観察することができます。



昭和2(1927)年の地震をきっかけとして、後円部に石棺が発見され、その後、発掘調査により3つの埋葬施設が存在することが判明しています。現在、そのうちの中央の埋葬施設である石棺が覆屋越しに見学できます。


棺内には石枕が造り出されています。

2号墳は1号墳の東側に接するように存在します。一辺約42mの方墳です。墳頂には神社が祀られています。


3号墳は2号墳の東側に位置し、一辺約15mを測る方墳です。参道により、墳丘の遺存状況はあまり良くありません。


3号墳付近から見るとこんな感じになります。手前が3号墳、中央が2号墳、奥が1号墳です。

次回に続きます。
電車に揺られて約3時間、天橋立を通り過ぎ(笑)、与謝野駅に到着です。実は今年の4月に野田川駅から駅名が変更されたばかりのようです。駅前にも複数の駅名が混在しています(2015年5月撮影)。


駅からタクシーを利用して目的地に向かいます。古墳公園に到着です。

園内は広くて見どころがたくさんありそうですが、まずは蛭子山古墳群から見学します。1号墳は全長約145mを測る大きな前方後円墳で、日本海側では第3番目の大きさとなります。右側が後円部、左側が前方部となります。

後円部側の入口です。いかに高さがあるかがおわかり頂けると思います。

墳丘には石が葺かれていたようです。

後円部は三段に構築されており、その状況も良く観察することができます。



昭和2(1927)年の地震をきっかけとして、後円部に石棺が発見され、その後、発掘調査により3つの埋葬施設が存在することが判明しています。現在、そのうちの中央の埋葬施設である石棺が覆屋越しに見学できます。


棺内には石枕が造り出されています。

2号墳は1号墳の東側に接するように存在します。一辺約42mの方墳です。墳頂には神社が祀られています。


3号墳は2号墳の東側に位置し、一辺約15mを測る方墳です。参道により、墳丘の遺存状況はあまり良くありません。


3号墳付近から見るとこんな感じになります。手前が3号墳、中央が2号墳、奥が1号墳です。

次回に続きます。