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発掘された日本列島2020

江戸東京博物館で開催されている「発掘された日本列島2020」展に出掛けてきました。

マスクを着用しての見学です。こんなに空いている江戸東京博物館は初めてのことだと思います。コロナも関係しているのか展示も少なかったように思います。周囲を気にしながらの見学です。

愛知県西上免遺跡の前方後方墳出土のパレススタイル(宮廷式)壺型土器です。
発掘された日本列島2020展

以下は古墳出土の形象(動物)埴輪シリーズです。まずは大阪府長原古墳群出土の馬と鳥形埴輪です。
発掘された日本列島2020展

鳥取県土下古墳群出土の鹿形埴輪です。耳の部分がデフォルメされています。
発掘された日本列島2020展

群馬県保渡田八幡塚古墳出土の鵜形埴輪です。口に魚をくわえています。この頃から鵜飼はあったのでしょうか。
発掘された日本列島2020展

千葉県龍角寺古墳群出土の犬(手前)と鹿形埴輪です。右手は同県東深井古墳群出土の魚形埴輪です。珍しいような気がします。
発掘された日本列島2020展


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御崎山古墳

予約投稿です。

御崎山古墳は島根県松江市に所在します。全長約40mを測る前方後方墳です(県指定史跡)。

後方部側から撮影した前方部です(1988年7月撮影)。
御崎山古墳

明治~大正年間頃に後方部の横穴式石室が開口したらしく、昭和年間に石室内部の調査が行われています。石室内には2基の家形石棺が置かれ、石室内からは銅鏡、馬具類、獅噛環頭大刀 を初めとする武器類などが出土しています。規模も小型で、墳形が前方後方墳でありながらも豊富な副葬品が出土しています。石室は現在埋め戻されていて見学することはできません。
御崎山古墳

山代二子塚古墳

なかなか梅雨が明けません。パソコンの不調により、長い間、更新並びに訪問ができませんでした。

山代二子塚古墳は島根県松江市に所在します。全長約94mを測る前方後方墳です。島根県は古墳時代後期までこの種古墳が造られることで有名ですが、その中でも最大級の規模を誇ります。また、大正年間に野津左馬之助氏によって初めて「前方後方墳」と名付けられた古墳でもあります(国指定史跡)。

遠景です。フィルム時代なので写真が少ないです(1988年7月撮影)。
山代二子塚古墳

くびれ部付近の状況です。埋葬施設は横穴式石室と推測されています。
山代二子塚古墳

この頃は樹木が生い茂り墳丘の観察も困難でしたが、現在はガイダンス山代の郷として整備・公開がされているようです。学史的にも著名な古墳ですので、嬉しい限りです。

造山古墳群

造山古墳群は島根県安来市に所在します。

古墳群は古墳時代前期の方墳2基と後期の前方後方墳1基、方墳1基からなります。

このうち1号墳は一辺が約60m、高さ約10mを測る大型の方墳です(国指定史跡)。JR山陰線線路の向こう側、右手に見えている小山が1号墳だと思われます(1988年7月撮影)。かなり古い写真になりますが…。
造山1号墳

墳丘は二段築成です。県内でも最古、最大級の古墳です。
造山1号墳

埋葬施設は割石小口積みの竪穴式石室が2基確認されています。昭和年間に石室内から銅鏡(三角縁神獣鏡、方格規矩鏡)、玉類、刀剣類、紡錘車形石製品などが出土しています。豊富な副葬品が出土しているにも関わらず、墳形は前方後円墳ではなく、方墳であることが特徴の一つです。

埋葬施設の中央に位置する竪穴式石室です。関東の古墳ではこの種の石室を見ることはできません。天井石の隙間から入ってみました。初めて体験した竪穴式石室の空間です。全長は約7mを測りますが、内部は棺を入れると、さほど広くはなかったように思います。ちなみに前日の雨のため、入ったというよりは滑り落ちたという方が正確かもしれません(笑)。
造山1号墳

古墳が所在する荒島丘陵には造山古墳群を始め、これまた前期の方墳である大成古墳、四隅突出型墳丘墓を含む塩津山墳墓群などがあり、平成11(1999)年にはこれらを総括して荒島古墳群と名称が変更され、古代出雲王陵の丘として整備公開されたようです。残念ながら1号墳の石室は埋め戻され、現在は見学できないようです。

この日は前方後方墳である2号墳も見学しようと思っていたのですが、樹木により断念しました。周辺が整備されたと聞いて、また訪れてみたいと思っています。

狛江の古墳7 亀塚古墳

亀塚古墳は東京都狛江市に所在します。狛江古墳群中の1基です。狛江古墳群は、江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」の中で百塚として紹介されていることから、往時はかなりの数の古墳が存在したものと思われます。

狛江古墳群は大きく和泉、猪方、岩戸の3つの支群に分けられています。亀塚古墳はこのうち、猪方支群に含まれています。和泉支群だけでなく、狛江古墳群の中でも唯一確実な前方後円墳です。全長は約40m、後円部直径約31m、前方部長さ約9mを測り、前方部が後円部に比べて短い帆立貝式の前方後円墳です。

1951(昭和31)年に発掘調査が行われ、埋葬施設は後円部から上下に木炭槨が2基、前方部からも箱式石棺1基が確認されています。後円部の木炭槨からは銅鏡(人物画像鏡)、金銅製毛彫飾板、馬具、直刀、鉄鏃などが出土しています。これだけ貴重な古墳であるにも関わらず、後円部は削平されてしまい、現在は前方部の一部が保存されているだけです。

今回、史跡公園として整備されたと聞き、訪れてみました。この古墳はこれまで数多く訪れていますが、最初に訪れたときは入口がとてもわかりずらかったように思います。ブロック塀に案内表示があり、狭い路地を入ると前方部に到着します(2020年6月撮影)。
亀塚古墳
亀塚古墳

住宅街の中に削平された後円部の形状に沿って道路が走っています。
亀塚古墳

こちらは整備される前の状況です。空き地ができていました(2018年5月撮影)。
亀塚古墳

前方部を側面から見た風景です。現在は手前が宅地化しており、見ることはできません(2008年11月撮影)。
亀塚古墳

前方部頂きには徳富蘇峰氏による「狛江亀塚」の石碑があります。元々は調査後、後円部に建立されたものが移設されたそうです。
亀塚古墳

石碑の背面です。写真は以前のもので、今回訪れた際には樹木により見ずらくなっていました。野ざらしで風化もしているようなので、こちらも何らかの方法で保存されるといいですね。
亀塚古墳

いよいよ整備された亀塚です。路地からの入口も残されていますが、新たに史跡公園として整備されました(2020年6月撮影)。
亀塚古墳

前方部に至る道です。中央の色が変わっているタイルは前方部先端の周溝を表しています。
亀塚古墳

解説版も新しくなりました。
亀塚古墳
亀塚古墳
亀塚古墳

前方部から撮影した入口です。
亀塚古墳

前方部の周溝は途切れることなく、その代わり後円部北側の周溝が一部途切れて墓道となっているようです。前方部からも埋葬施設が確認されているので、あらかじめ前方部にも埋葬する計画があったのでしょうか。ところで前方部の石棺は調査後、どこにいったのでしょうか。破壊されてしまったのか、残されている前方部に保存されているのか興味があります。
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kame-naoki

Author:kame-naoki
カメさんと遺跡巡りが趣味のおじさんです。

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